もののけ姫 サン 生理 (1)
8月13日放送、日本テレビ系・金曜ロードショー「もののけ姫」
21:00 〜 23:44




3週連続夏はジブリ第1弾「もののけ姫」が今夜放送。
自然との共生を強く表現した作品「もののけ姫」は、「人も自然の一部である」という宮崎監督のメッセージが込められている。それをいつの間にか忘れ、まるで自分たちのために自然はあるみたいに勘違いしてしまった。



この場合の自然とは、森羅万象の「いのち」。
ディダラボッチに象徴されるような、無機質のいのちも含み、つまり「人もその”いのち”のサイクルの一部に過ぎないのだ」と言いたかった。


有名な経文で言えば「色即是空、空即是色」。
最後は人間と自然の痛み分けのような描写だが、やはり人間が少しずつ自然を滅ぼしていることを伝えている。




今回は、もののけ姫での都市伝説、「サンが整理中だった」とか「アシタカとの体の関係」「エボシのタタラ場の集落に子供の姿が一切見当たらない」理由など、5chの情報をまとめてみた。





■目次

もののけ姫あらすじ
もののけ姫のサンが生理だった?
子供がいない理由
もののけ姫サンとアシタカの体の関係

もののけ姫あらすじ




もののけ姫 サン 生理 (2)


北の果てに住むエミシ一族の青年・アシタカ(松田洋二)は、 “タタリ神”に姿を変えたイノシシから村を守るためにタタリ神に矢を放ち、死の呪いを受けてしまった。


村の巫女・ヒイさま(森光子)は、西に呪いを絶つ方法があると預言。旅に出たアシタカは、道中で出会った謎の男・ジコ坊(小林薫)から精錬所“タタラ場”とすべての生命を司る“シシ神の森”について話を聞く。


タタリ神となったイノシシの体から出てきた鉄の玉がタタラ場で作られたものと考えたアシタカは、タタラ場を目指して西へ急ぐことに。



そんな中、犬神に襲われて川岸に倒れていた甲六(西村雅彦)を救出したアシタカは、犬神に育てられた少女・サン(石田ゆり子)と出会う。



人間を嫌う彼女から森を去るように告げられ、甲六を連れて彼が働くタタラ場へと向かうことに。タタラ場を率いるエボシ御前(田中裕子)はアシタカを歓迎。彼女は、女性や病人など世間から蔑まれていた人間が生きていくために独自のコミュニティを築いてきた。



その目的を果たすために森を切り倒したことから、サンと彼女を育てた犬神・モロの君(美輪明宏)の怒りをかっていた。




その夜も、エボシへの復讐心に燃えたサンがタタラ場を襲撃。2人の戦いを止めようとしたアシタカは、暴発した石火矢の銃弾を受けるが、傷ついたサンをなんとかシシ神の森へ送り届けようとする…。だがその後、力尽きて意識を失ってしまう…。





公式サイト





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もののけ姫のサンが生理だった?



もののけ姫 サン 生理 (4)


宮崎駿監督の作品は、思春期の女の子を主人公に描くため、多感な時期の描写にとても力を入れている。



70年代や80年代、アニメで「10代以下の女の子」を描くときは、「胸」はペタンコか、あってもほんのわずかぐらいが普通だった。



しかし、宮崎駿はそういう時代に、「カリオストロの城」のクラリス、「風の谷のナウシカ」のナウシカで、明確に「胸」がある描写をした。特に、ナウシカについては本人が「胸を大きく描いた」と発言しているぐらい(母性の表現として、みたいな感じだが)。




当時の感覚だと、「胸を描写する」=「性の対象として見ている」だったので、「10代の少女に胸があるように描写しているから、宮崎駿はロリコン」という理屈が成り立った。



しかし、現在のアニメだと、児童向けのものを除けば、中高生ぐらいのキャラクターでも、意図的に「胸のない設定」にしているのでもなければ、それなりに「胸」があるのが普通。



これは宮崎駿監督が、アニメで最初に挑戦したから。

「千と千尋の神隠し」では、「千尋は生理中だった」とネットで噂になっているが、その理由は、一番最初の車に乗って引越し先へ向かっている場面は、そういう時期なので機嫌が悪かったことを描いている。(ただ単に引っ越す事にイラッとしてたのかもしれないが)



他にも、千尋が銭湯で働く事になったその日の夜、千尋が寝ようとしてリンが布団を出している時急に千尋はお腹を痛がった。 それで、次の日の朝千尋は布団の中で震えている。あれは、初潮が来たということ。




千尋は生理が初めてなので血を見てビックリしたので、血におびえて震えていた。
そしてハクに呼ばれて外に出ると、その時にも前の日はあんなに恐がっていた階段も自分の中で生理という階段よりも恐い経験をした事で難なく階段を上がっている。



ほかにも宮崎駿監督によると、「魔女の宅急便」のキキが飛べなくなった理由は、「女の子の思春期の特有のものだ」と言っていた。つまり、思春期にくるものといえば生理。



もののけ姫でもサンは女の子なのに、アシタカと出会うまで、体の変化については何の疑問もなかった。そしてアシタカと出会うことによって、人の感情で揺れ動きだす。



宮崎駿監督は、映画もののけ姫の前に、まったくストーリーの違う絵本版のもののけ姫を描いているが、その時の主人公は「三の姫」。ちなみにヨーロッパの昔話や日本の昔話(蛇の嫁入りとか)でも、冒険に出たり、主人公になったり生贄になったりするのは、三番目の末っ子が多い。


人間によって、サン(三の姫)の姫を生贄として投げてよこされた時にモロがたまたま赤ん坊が「サン」と呼ばれていたのを聞いていた。



モロの子はヤマイヌ兄弟だが、映画の中で二頭を区別されてない。あえて「おまえ達」とか「おまえ」と呼ばれて名前は出てこないが、多分、サンの名前はモロが付けてる。


そういった事を含めて、宮崎監督は「少女の成長」をテーマにしているので、サンも生理だったのではないか?と5chで考察されている。





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子供がいない理由




もののけ姫 サン 生理 (3)


もののけ姫の作中、タタラ工場で作業している包帯で巻かれた人々が描写されているが、この病気は「ハンセン病」の人たちを描かれている。




業病とは、「自業自得の病気」とされ、「行くあてのない私たちをエボシ様だけが受け入れてくれた」という言葉には、差別、隔離されていることを表している。これはハンセン病患者も過去に言われのない差別を受け、隔離・差別されたことを「業病」と称し、宮崎監督は描きたかったといわれている。




このタタラ場に子供の姿が一切見当たらないのは何故か?
これは、映画のパンフレットにも書かれていたが、宮崎監督が描いたあのタタラ場は、ある意味で開拓村のような場所。


作中にエボシの過去は描かれていないが、かなり悲惨な境遇を潜り抜けてあの場所にたどりつき、砂鉄を掘り出すための「村」を独力で開拓した。



そこへ戦乱で家を失ったり、または悪事を働いたりして、居場所の無くなった人々が流れ着いて、あのような大所帯になっていった。だから、あそこに暮らす人々は家族でもなければ、血縁関係も無い独立した人間たち。そのため、「子どもを入れるとややこしくなるから、あえて入れなかった」そうだ。


つまり、子供がいない理由は宮崎監督が「より集めで作られた村」ということを、わかりやすくするため。もう少し時間が経過したときにアシタカが訪れていたら、村としての形成がなされていたのだろうが、アシタカが訪れたこの時点では、子供がいるとややこしくなってしまうから、省いたのだろう。




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もののけ姫サンとアシタカの体の関係



もののけ姫の都市伝説について、特にアシタカとカヤ、アシタカとサンの関係について、ネットで様々な説がある。




例えば、アシタカがエミシの村を出て草原をヤックルと駆けていく爽快なシーンでのアシタカの心の中は、理不尽に対する怒りや悲しみに満ちていたり、モロの君と乙事主が昔恋人関係にあったりだとかいう話は、実際に宮崎駿監督が語られていたりしているので、裏設定であることに間違いない。



また、サンとカヤとの身体の関係ついてだが、「もののけ姫はこうして生まれた」という密着映像にそういった裏設定や宮崎駿監督の意図も収録されているが、宮崎監督と鈴木敏夫さんとの話の中で「そんなの描かなくてもわかるでしょ」と宮崎駿監督が語っていたので、身体の関係があった可能性は十分に考えられる。



「必要なことは描くけれど、分かるようには描かない」という方針で作成されたのがもののけ姫なので、私たち一般人からすれば分からないような些細な描写にそういう意図を含んでいる。


もののけ姫 サン 生理

岩屋の中で、アシタカは寝ているサンを見つめているが、このとき描かれたサンは、とても無防備な姿で脚まで見えていた。宮崎監督をよく知る、鈴木敏夫さんは、このシーンのコンテを見てピンと来たそうだ。「この時点で、2人は体の関係ありましたよね?」と聞くと、「そんなの、わざわざ描かなくてもわかりきってるじゃないですか!」と宮崎監督は答えたそうだ。




つまり、サンとアシタカの体の関係であったとするのは、視聴者側の解釈に任されている。



宮崎監督がNHK「プロフェッショナル」で特集された際、二人の関係を「通い婚」と語っている。



その言葉からしても、二人は体の関係があったと想像できるし、アシタカはタタラ場と人たちと協力し、森で暮らすサンと両方が幸せに暮らせるよう尽力をつくすが、まだまだ根強い隔たりがあり、傷付きながらも、頑張って生きようとする。それがアシタカの運命のだろう。



その後の二人の展開は、「アシタカがサンを連れてエミシの村に戻るというのは、何の解決にもならないからありえない」とも監督は語っていることから、約束通り定期的にヤックルと共にサンのもとに会いに行っているという事が推測できるだろう。





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