加藤智大の弟手記 (2)



7月29日、死刑執行がされた加藤智大死刑囚について、デイリー新潮が獄中の手記を紹介し、5chで話題になっている。




加藤智大死刑囚は、真面目で一途な面もあった模範的受刑者だった。

起こした事件は凶悪だったが、未熟さと無知が原因による犯罪だったので、生い立ちに同情する人への感謝の手紙も送っていたという。もし、死刑囚でなかったら、仮釈放されていたのかもしれない。



今回は、加藤智大の手記と弟の手記、また押切もえが嫌いだったことが5chで話題になっているので、概要についてまとめてみた。



■目次

加藤智大の手記
加藤智大は押切もえが嫌いだった
加藤智大の弟手記


加藤智大の手記



加藤智大の弟手記 (1)


記事内容


加藤智大は、青森県出身の25歳、派遣会社員の男だった。
ネットに「秋葉原で人を〇します」と書き込んだ上での凶行だった。公判で注目されたのは、加藤自らが証言した「母親との関係」だった。加藤の母親は教育熱心で、加藤は地元・青森でも評判の高い進学校を卒業していた(以下、引用は長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』より。



中略


加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。

その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。 〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉  



母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。
4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。2015年2月、死刑確定。その7年5カ月後の執行となった。



事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。



事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。  



加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。 〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば〇ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉


デイリー新潮編集部




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加藤智大は押切もえが嫌いだった



fff



新潮の記事では、加藤智大の拘置所での様子が詳しく書かれており、決まった時間にラジオ放送を聞くのが楽しみだったそうだ。



しかし、土曜日の午前10時、押切もえがMCを務めていたラジオ番組だけは、その後の昼食を食べなかったという。刑務官がなぜ昼食を食べないのか?理由を聞くと、加藤智大は「この女性(押切もえ)が嫌いなので、食欲がないと答えたそうだ。また、そのラジオの時間に「支給されていたかっぱえびせんを食べていたので、それでお腹がいっぱいだった」と語っている。


土曜日の午前10時というのは、おそらくbayfmの冠ラジオ番組「moe’S up
!」



押切もえがどうして嫌いだったのかは記載されていないが、このラジオは、押切もえの私生活の報告やモデル仲間の話など幸せオーラ全開の内容ばかり。



押切もえは、もともと顔黒(がんぐろ)ルーズソックスと言う、当時女子高生の代表のような顔で、テレビに出演していた「うるさい陽キャ」の象徴だったのだが、すっかり落ち着いたトークになって、ラジオで流す選曲も酷くなってしまった。



また韓流ブームだと騒いでいたから、そんな内容ばかりしゃべっていたので、それが加藤智大がつまらないと思ったのかもしれない。



あまり有名ではない曲紹介やゲストの時はバタバタすることがあるので、やはりパーソナリティはラジオパーソナリティがいいし、他の芸能人でもそれなりに音楽を知っている人にやってほしかったのだろう。(もちろん全部管理人個人的な主観ではある)




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加藤智大の弟手記




加藤智大犯人じゃない母親の家族 (3)



週刊現代が取り上げた加藤智大の弟が自〇する前に書かれたという手記「生きる理由がない」が5chで注目されている。



記事内容


「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。 〇ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」



そう語った青年は、その1週間後、みずから命を絶った。彼の名前は加藤優次(享年28・仮名)。日本の犯罪史上稀にみる惨劇となった、秋葉原連続通り魔事件の犯人・加藤智大(31歳)の実弟だった。


中略


優次は生前、「本を出版したい」と私に繰り返し言っていた。この手記を公開することは、優次の遺志にそむくものではないと私は考える。なぜなら彼はこうも記しているからだ。



「まず職を失った。事件当日、ほとんど着の身着のままでアパートを抜け出したときの緊張感、不安と高揚は、いまはもう忘れかけていますが、職場を失うのがつらかったことはハッキリと覚えています。あの会社は社会との唯一の接点でした。青森で腐っていた自分を生き返らせてくれた大事な場所でした。


でも、やはり退職はどうしても避けられなかった。事件当日の深夜、退職届を書きました。僕がいなければ、(職場に)マスコミが来ても知らぬ存ぜぬを通せる。辞めたくはなかったけど、迷惑をかけずに済む方法がそれしかなかった。



事件から3ヵ月。報道が落ち着くと、優次はアパートを引き払い、当時住んでいた東京を離れてアルバイトを始めた。再び社会との接点を持った彼を待っていたのは、身元・素性がバレないかという不安だった。


中略


この頃はまだ、自分の名前を検索すると、すぐヒットする状態にありました。弟は高校でイジメに遭っていた、と同級生という人物による書き込みもあった。事実ではないことも書かれていましたが、事実もありました。自分を知る人間が書き込んでいる。それは間違いないことでした。



「引っ越して、住民登録を済ませると、1ヵ月も経たないうちにマスコミの人が来るんです。インターフォンが鳴り、ドアが乱暴に叩かれる。なんでわかるんだろう、と恐怖を覚えるとともに、やっぱり逃げられないんだな、とあきらめのような感情が湧きました」


中略


一番こたえたのは「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と宣告されたことです。これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。



結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。



現代ビジネス




この事件のせいで、母親だけでなく、父親、弟も「異常」だったのではないか?と世間に思われた。



加藤智大の実弟、加藤優次(仮名)は、 家の中の写真を撮ったり、週刊誌の取材を受けたりしたおかげで、 それから何年も何年も、追いかけ回される事になり、 仕事も住所も、転々と変えながら、生きていた。


しかし、事件から6年後に250枚の手記を残して、 自〇(享年28歳)。



加藤智大は、弟が自〇したのをすぐに知っていたそうだ。

加藤智大が事件を起こしたことにより、執拗に弟をマスコミが追い回したのは事実。その為、弟は退職に追い込まれ、そして自〇しているが、最後の引き金を引いたのは交際していた彼女。



加藤智大の弟であっても、兄と弟とは違うということで事件後も付き合っていたこと、それが弟にとっては心の拠り所だった。


結果的には、弟は彼女に振られているのだが、その理由が「加藤智大の弟だから」というもの。これが弟の心を崩壊させるトドメになった。



加藤智大の生い立ちを同情する人は多いが、弟が自〇したとき何を思ったのだろうか?弟がなくなったのに、命乞いの再審請求している時点で加藤智大も異常な精神だったはず。




家族は、一番身近であり、それ故に時に残酷な仕打ちをする他人。


その事を今一番痛切に感じていたのが弟で、自分自身の「一番身近で残酷な他人」たちから酷い仕打ちを受けてたとしても、いかにそれを堪え忍ぶかを考え行動するだけしかない。



原因は学校や会社、ネット社会などいろいろあり、何事も犯罪者を育てた親や家族は全て悪いなんて事は言えないはず。家族に迷惑をかけたくてやったのか?家族に振り向いてもらいたくてやった犯罪なのか?


いずれにしても、加藤智大の弟はともかく、加藤智大に同情する余地は一切ない。



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