加藤智大犯人じゃない母親の家族 (3)


8月2日、秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大がなぜ事件を起こしたのか?という過去の経歴を振り返るドキュメンタリーがNHKで特集され、最後の言葉が5chで話題になっている。







加藤智大は事件を起こす前、会社の同僚に「今度飲みに行こうよ」と飲みに誘ってくれた人もいた。せっかく飲みに行こうと言ってくれたのに、その関係を鬱陶しがり、孤立。そんな優しい言葉が加藤智大に響いたら、事件は起こさなかったのかもしれない。



この事件を端的に理解するのは、間違った認識を生む。


今回は、加藤智大の死刑執行の様子、加藤智大は最後の言葉に何と言ったのか?5ch情報をまとめてみた。





■目次

加藤智大の最後の言葉
加藤智大は再審請求していた?
加藤智大の最後の様子


加藤智大の最後の言葉






記事内容

法務省は「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大の死刑を執行したと発表した。


中略

加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。



〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉


母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。


2015年2月、死刑確定。
その7年5カ月後の執行となった。事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。


事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。

 

加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。

 

〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば〇ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉

デイリー新潮




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加藤智大は再審請求していた?





加藤智大の報道について、日弁連のホームページで「執行された死刑囚は再審請求中」との記載があった。


一方、死刑執行の最終決断をした法務大臣は、再審請求の有無については「答えを差し控える」とした。




再審請求していれば、執行されにくくなるという事実はある。

しかし、再審請求していれば執行されないというのは間違い。一昔前までは再審請求が執行を伸ばす常套手段だったが、加藤智大のように近年はこれが崩れている。



別の事件では、2019年の年末に執行された中国人留学生による福岡一家4人殺害事件の魏巍死刑囚も再審請求中だったし、オウム関連の死刑囚も再審請求中が多かった。



加藤智大は、事前に掲示板に事件を起こす予告などしており「計画性の高い悪質な犯行」だった。


それだけで責任能力は十分であり、しかも現行犯逮捕され、裁判でも罪認めているから冤罪の可能性は0。


弟を自〇させる原因作って自分はのうのうと命乞いのために再審請求していたのは、おそらく池田小事件の被告、宅間守のように「死刑を執行すべき」と自ら申し出れば、それなりのスピード感で死刑は執行される。


問題なのは、無罪や情状酌量で弁護士が再審請求を何度も出し続けていたこと。


わかりやすく言えば、和歌山カレー殺人事件の林真須美死刑囚に関しては、再審を行うべき(DNA鑑定に疑いがあるため)だが、秋葉原通り魔殺人事件の加藤智大被告に関しては、死刑執行を手続きどおり行うべきということで問題はなかった。




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加藤智大の最後の様子








加藤智大の最後の様子が書かれているのは、最高裁に上告して棄却された(2015年)時、 自由に面会も手紙のやり取りも出来たからその間に手記を公表し、本にした(22014年)時だけ。


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過去にも死刑囚で獄中出版した例は何例かあり、どれも同じ手法で本を出版している。

加藤智大の本は「解 (Psycho Critique)」と「秋葉原無差別殺人犯 加藤智大の肖像(仮)」なるものが検索結果として出てくるが、後者はいまだに発売はされていない。



「解 (Psycho Critique)」の方は、管理人も読んだことがあるが、すこしネタバレするとその内容は、社会への不満を態度で示し分からせることしかできなかったことを悔やんでいる。



母親の虐待に近い躾がそうだったので、何事にも自信が持てず。また、大切にしていた掲示板で加藤智大の成りすましが現れ、それに逆上。



加藤智大にとっては、掲示板は「自分の存在」を表現できる場所だったのに、そこですら、存在をを脅かされた。その「成りすまし」に精神的苦痛を味あわせるため、犯行を決断。


もちろん、掲示板だけがすべての原因ではないが、この「成りすまし」に精神的痛みを与える手段で最も効果的な方法は、それしか思いつかなかった。


本の中にある「社会との接点の少なさを全て掲示板でカバーしていた私の生活」という一文がすべてを表している。



加藤智大の「行動で示す」態度は、はっきりいって理解しがたいし、中途半端で論理性に欠けており、すべての行動に一貫性がなく、優柔不断。この手記ほど、「自己肯定」と「言い訳」で、書かれたものを読んだことはない。



それは、子供が母親に言い訳するときと全く同じ。
世間は「社会への恨み」とか「親の育て方」でこの事件を見るが、本のあとがきで「検察官からまるで自分が被害者みたいに思っているのか?と言われた」ことに疑問を持っている。



加藤智大は、社会への不満など持っておらず、秋葉原の通行人に対しては何の思いもなかった。




「むしゃくしゃして誰でもいいからやった」




その行為に対しては「申し訳ない」と本人が言っている。



つまり、自分の存在を示せれば、どんな行動でもよかったというのが、加藤智大が最後に残した本音の言葉なのかもしれない。









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