
11月6日放送、テレビ朝日系・映画「天気の子」
新海誠監督最新作・映画『すずめの戸締まり』公開記念で『天気の子』を本編ノーカットで放送。
新海監督の作品「天気の子」は、「子供の未来のために大人は環境に配慮しよう」というメッセージが込められている。海面上昇の主たる原因は地球温暖化にあり、その大きな要因として二酸化炭素等の温暖化ガスの排出がある。本当に海面上昇を止めたいなら、東京みたいな大都市を根こそぎ滅ぼせば良い。だが、それでは誰もが地球上に暮らしていけない。
では、どうするればいいのか?
そこに「天気の巫女」という存在。 天気の巫女が生贄になれば、空は晴れるというオカルト的な話を信じ、「人柱一つで天気が戻るなら歓迎」という須賀と帆高が対立する。
「天気の子」で新海監督が伝えたいことは、人間は時には犠牲を払うことがあるが、それは公平にみんなが分担し合わなければならないということ。
しかし、だからと言って東京水没するという展開はあまりにもおかしい。
本当に新海監督が言いたいのは環境問題なのか?
今回は、「天気の子」の怖い考察、東京水没するまで雨が降り続ける理由について、5ch情報をまとめてみた。
■目次
・天気の子とは・「天気の子」雨が降り続ける理由や東京水没
・天気の子怖い考察ひな死亡
天気の子とは

『天気の子』は、新海誠が監督・脚本を務める、2019年の日本のアニメーション映画。
醍醐虎汰朗が主人公の森嶋帆高を、森七菜がヒロインの天野陽菜の声を演じる。離島から東京に家出してきた少年、帆高と、“祈るだけで晴れにできる“力を持つ少女、陽菜が出会い、運命に翻弄されながらも自らの生き方を「選択」していく物語。
2019年7月19日に東宝の配給により公開されると、日本での興行収入は141.9億円(日本映画で12位)を記録した。第43回日本アカデミー賞では最優秀アニメーション作品賞と最優秀音楽賞を受賞した。
参照wiki
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「天気の子」雨が降り続ける理由や東京水没

「天気の子」で東京が水没したのは誰のせいなのか?
作中に描かれていないので、ネットでは様々な考察がされている。
新海監督は「天気の子」の公開前、メディアに対し、「本作も前作(君の名は)もラブストーリーのつもりがなく、人生で初めて「他者」を知ろうとする思春期の少年の一途な気持ちを描いた」と複数のインタビュー記事で回答している。
その際、新海監督の説明では、「降り続く雨により排水が間に合わず東京は沈んだ」とあった。しかし、作中の上空からの東京の様子を見ると、東京湾の海岸線が内陸に食い込んでいることがわかる。
もし、天気の子がオランダのアムステルダムを元ネタした話だとしたら、特に問題はないのだが、「東京で雨が降り続けて水没という話」ということだと現実的には起こり得ない現象。東京の場合は品川や新木場のような埋立地でさえ海抜より標高が高いので、排水が間に合わなくても海岸線が内部に侵食されることはありえない。
東京だけではなく、地球全体の海面上昇があったとしたら、こんな状況もあり得るかも知れないが、その場合は南極の氷床の大きな部分が溶けるほど地球が温暖化している必要がある。
だが、それだと「天気の子」としての作品テーマが崩れてしまう。
天気の子の世界での雨は「人が普通に傘をさして歩ける程度」であり、豪雨ではない。 だから、雨で直接的な被害が出ることはない。出るとすれば天気の巫女が局所的に晴れにして「どこかにまとまった雨を降らせた」場合だけ。
この災害の厄介なところは、雨が猛威では無く、いつまで降り続くか分からないところ。
東京に首都機能がそのまま残って(と小説版に書いてある)いるので、東京の中心部は山の手線の内側。首都圏人口3000万人が全てそのエリアに残ることは出来ない。小説版では、東京東部の荒川・江戸川流域は「降り止まない雨に従来の排水機能が間に合わず、2年以上かけてゆっくりと海に沈んでいった」とある。
地球全体の海面上昇が起きたわけではない(レインボーブリッジが沈んでいるのは矛盾するけど)ので、雨が降り止めば水は引いていくはず。
つまり、雨が降り続ける理由、東京水没は子供向けの完全な創作。
新開監督は、現実的にはありえないおかしな災難(東京水没)であっても、人々は復興に努めているということを伝えたかったのかもしれない。
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天気の子怖い考察ひな死亡

新海監督によると、「天気の子」の天野陽菜(ヒナ)は天気の巫女の能力を使って水蒸気の流れを目で見ることができる能力を持っている。
天気の子に登場するヒロイン天野陽菜(ヒナ)は、映画がラストに近づくにつれて「体が透けていっている」ことに気づいた人も多いだろう。作中のラストでは、ほだかとひなが一切連絡を取れていなかった。

なので、5chでは「ヒナはその後、死亡したのではないか?」という怖い考察がされている。
小説版では、ヒナが天気の巫女の運命を背負い、身体がおかしくなる前兆はいくつかあった。
だが、天気の子のラストのシーンで陽菜が死亡したのなら、あまりにも余裕があり過ぎる。それに陽菜と連絡が取れなかったのは、携帯電話を持っておらず、保護観察処分で厳重な体制のなか通信手段がなかったから。最後に陽菜が田端駅南口の空を見上げて祈る姿は、とてもその後に死亡したとは思えない。
まとめると、天野陽菜が体が透けていったのは、死亡ではなく、能力によるもの。
天野陽菜が鳥居をくぐることによって異界とつながるのは、宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」と同じような現象なのかもしれない。千尋一家がトンネルを通る前、千尋は車の中から異界の象徴である蛙人の石像を目撃する。異界に侵入したときは、舗装道路と未舗装の道の境目の立っていた鳥居の前を通った時だけ。
つまり、天野陽菜の身体がだんだん透けていくのも「千と千尋」と同じ現象だと考えると、新開監督は天野陽菜が異界とつながることで、体が透けていくということを表現したかったのかもしれない。
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